Profile
My Story
- 0歳
-
1988年、この世に生を受ける。
- 3歳
-
人見知りの泣き虫。よく母の足にしがみついていたそう。
- 6歳
-
小学1年でサッカーをはじめてから、だんだんと活発になる。
- 9歳
-
気づけば、率先して班長や学級委員をやるように。話し合いの司会をしたり、まとめたり...この頃からファシリテーターの芽があったのかもしれない。
- 10歳
-
熱心に「自主学習ノート」に取り組んだ。自由に学ぶことを決めて、漢字の練習をしたり、植物の絵を描いたり、時には物語を書たり。今でも「自ら学ぶ」ことが好きで、常に何らかの探求テーマがある。
文化祭に異様な熱を発揮。手動型のダンスダンスレボリューションをつくったり、景品のポケモンバッチづくりに物凄くこだわった。今でも何かを「つくる」ことが好き。 - 14歳
-
地域のクラブチームでサッカーを続ける。ポジションはセンターバックかサイドバック。後ろから全体を見渡し守りつつ、時折、サイドからオーバーラップして攻めていく感覚は、今のファシリテーションのスタイルと少し似ている。
- 17歳
-
文化祭熱が再熱。音声で楽しむお化け屋敷や、教室内にジェットコースターをつくった。前例のないことに挑戦したがるところがある。
- 18歳
-
はじめての海外一人旅へ。タイ、カンボジア、ベトナムを周る。未知の世界に飛び込む楽しさを知る。
- 19歳
-
大学の授業で社会問題を学び、居ても立っても居られなくなる。大学を飛び出して課外活動に明け暮れる。環境問題、戦争・紛争、エネルギー問題など、あらゆる分野に首を突っ込む。
- 20歳
-
...が、問題が一向に解決されていないことに気づく。そこから「あらゆる社会問題の根底には何があるのだろうか?」という問いが生まれる。
- 21歳
-
友人に誘われたワークショップで「ワールド・カフェ(※1)」を体験し、「これだ!」と電撃が走る。異なる価値観が混ざり合っていくような体験から、「多様な価値観を持った人たちが対話できずにいるから、あらゆる問題が生じるのでは?」という考えに至る。そこから「対話」への探求がはじまる。
- 22歳
-
より多くの人たちに「対話」を体験してもらうため、47都道府県でワールド・カフェを開催しながら日本中をママチャリで周るプロジェクト「日本一周ママチャリキャラバン」を企画。約1200名が参加。参加直後の感想文を分析し、卒業論文『ワールド・カフェで起こる対話の構造ー47都道府県での実践からの考察ー』を執筆。
対話の場づくりを実践しながら、もっと社会のことを勉強したいと、恩師の金山智子先生に相談したら、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科を紹介され、進学することに。 - 24歳
-
社会学者の萩原なつ子先生と哲学者の内山節先生に師事。大学院在学中に、対話の場づくりの依頼が増え、萩原先生に背中を押されて「古瀬ワークショップデザイン事務所」を設立。修士論文『ワールド・カフェ・デザインの可能性ー対話による社会構築に向けてー』を執筆。「社会デザイン学」修士(Master of Business Administration in Social Design Studies)を取得。
屋久島で行われた、中野民夫先生の授業「ライフサイクル論」も強く印象に残っている。内なる自然とつながる大切さを全身で感じた。 - 25歳
-
対話の学校の吉田創さん、クレセントワークスの小山田奈央さんから、体験学習のいろはを教わる。「ファシリテーターたる者、一度はTグループに参加した方がいいよ」と言われたことをきっかけに、主催が異なる3つの「Tグループ(※2)」に立て続けに参加。
後に、南山大学のTグループの「トレーナー・トレーニング」も修了。特に、南山大学の中村和彦先生、坂中正義先生、楠本和彦先生、津村俊充先生らの佇まいや関わり方から、大きな影響を受ける。いまここの体験から学ぶこと、自分を生かし、他者を生かし、ともに生きていく、その在り方や態度を学ぶ。 - 26歳
-
はじめて実家を出て、彼女と同棲をはじめる。ウキウキ気分の中、引っ越してすぐに父が難病(クロイツフェルト・ヤコブ病)を発症。予定を早めて結婚することに。ぎりぎり話せるうちに結婚の報告ができたのはせめてもの救い。だんだん動けなくなり、だんだん話せなくなり、約半年で死別...。大好きな父だっただけにショックが大きく、その後、8kgも痩せて、原因不明の体調不良が続いた...。
- 27歳
-
グリーフサポートをしている一般社団法人リヴオン主催の『「ままに」きく力を育むミニ・カウンセリング講座』に参加し、橋本久仁彦さんの「ミニカウンセリング(※3)」を体験。人の話はよく聴ける方だと勘違いしていたことに気づく。半年間通い続け、聴くということの世界観が一変する。
同じ年の秋口、大学院時代の先輩の谷口起代さんが主宰する『てらたん講座 暮らしの中で「聴く」ときに使う技、立脚する世界観の探究(※4)』に通いはじめる。その中で心理療法の一つの「ファミリー・コンステレーション(※5)」を体験し、衝撃を受ける。我々の根底に蠢く〈目に見えない力動〉を感じ、身体に耳を傾けることの大切さを知る。 - 28歳
-
仕事を一旦休止して、妻と70日間、ヨーロッパ11カ国を旅して周る。異なる言語や文化、美しい芸術に触れ、より一層世界が好きになる。妻との衝突もあったが、対話を通して深い絆が生まれる。
- 29歳
-
東京から神奈川の鎌倉に移住。土地柄の影響から西田幾多郎の哲学を学びはじめる。この年、プロジェクトアドベンチャージャパンの「AP講習(※6)」、丹羽順子さんの「ブレスワーク(※7)」、齊藤由香さんの「つながりを取り戻すワーク(The Work that Reconnects)(※8)」を体験し、より世界観が広がる。
仕事ではクライアントワークに従事しすぎて、自ら開催する場がなくなっていたことに気づく。誰にも頼まれなくとも、自らが必要だと思う場を開いていこうと決め、「自由に生きうるための探求ゼミ」「技法以前のファシリテーション」「ミニカウンセリング探求会」などを開催。 - 30歳
-
少し仕事の流れが変わってくる。これまで単発のワークショップが多かったが、連続のワークショップや中長期にわたるプロジェクトが増える。(特に教育関係の仕事が増える)ワークショップデザインとファシリテーター以外にも、ある現象を概念化するような仕事もはじまった。
哲学者の苫野一徳さんのオンラインゼミに参加しはじめ、哲学から学びつつ、実践に活かすことを繰り返している。(今現在、現象学とフッサールを深めている) - 31歳
-
2020年。ホームページのリニューアルをきっかけに、自分自身と向き合い続け、突如「対話に生きる」という詩が生まれる。改めて「対話」を軸に活動していこうと決心する。「対話の文化をつくる」ことを目指している。
4月以降、新型コロナウイルスの影響で一時期仕事がゼロになることもあったが、現在では、オンラインでのワークショップや研修の開発と実践にも取り組んでいる。