2015年3月9日、月曜日。
劇団「COoMOoNO」のレパートリーシアターの1つ
『ムーンライト・シャドウ』を観てきた。
「COoMOoNO」の公演は、これで3回目。
「COoMOoNO」のコンセプトは、僕のお気に入りだ。
なぜなら、対話やワークショップを通して、僕自身も、
「日常の中の繊細なことに気づける人が増える」ことを願っているから。
今回、感激してしまったのは、まずは、
はじまる前の「COoMOoNO」スタッフの“丁寧な”対応に、である。
受付を済ました後、荷物の預かりの案内があって、
座る席も空いているところを丁寧に案内され、
ワンドリンクのオーダーの説明があった。
僕は珈琲を頼み、「席までお持ちします」と言われ、
後から席に届けられると、珈琲のミルクと砂糖の在処を、
これまた、丁寧に教えてくれた。
どれも、丁寧。かつ、自然。
同じ言葉、同じ動作であっても、その中には“丁寧さ”があり、
「かけがえのない人」として扱ってくれた感じがあった。
そうか。「COoMOoNO」のスタッフ自身が、
「繊細なことに気づける人」で在ろうとしているのだと思った。
さて、今回の演劇の内容についてだが、
『ムーンライト・シャドウ』の原作はよしもとばななの短編小説である。
あらすじは、こんな感じだ。
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[あらすじ]
主人公のさつきが、恋人の等(ひとし)を交通事故で失ってしまったところから物語が始まる。悲しみに暮れるさつきが、ふいに現れた、うららという不思議な女の人と出会って、少しずつ悲しみを癒やしていく。人が死んでいくことそして生きることを、世界が不思議な調和に満ちていることを、寂しさと優しさの入れ混じった中で、まっすぐに受け止め、読者に語りかけていく。
引用:小説紹介・第35回「ムーンライト・シャド」 著:よしもとばなな
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死別との向き合い方は、人さまざま。
それぞれが、それぞれのやり方で。
それぞれが、それぞれの時空で。
起きて、着替えて、靴を履いて、早朝のランニングに行く。
帰ってきて、靴を脱いで、着替えて、眠る。
日々の繰り返しが演じられることで、
残酷にも「時は、真っすぐにしか進まない」という
ごく当たり前のことを感じさせてくれる。
常に一方方向に流れるしかない川の流れや音も、
きっと、そのことをよりいっそう強めていたに違いない。
今にも崩れ落ちてしまいそうな、
ぎりぎりの精神状態を支えているのは、
日常の中にある些細な“何か”。
ちょっとした会話。
気にかけてくれる人の存在。
だれかのたった一言。
橋からの風景。
冷たく澄んだ川風。
そういった些細な“何か”が、
この演劇では表現されていたのだと思う。
誰もが、いつかは経験するだろう大切な人との死別。
誰だって、耐えられるわけがない。
誰だって、前もった準備なんてできっこない。
今できることと言えば、一日一日の日々を、
一つ一つを、丁寧に、大切に、過ごすだけだ。
忙しない日常の中でも、
“丁寧さ”を忘れたくないと思いました。