「してもいいし、しなくてもいい。」
2015年1月9日の「ひとの居場所をつくるひとフォーラム」のプレイベントで、
西村佳哲さんが言っていた言葉だ。
このフォーラムでは、様々なゲストの話を聴くのだが、時々、
3人組を組んで、聞いてみてどうだったかを共有する。
ただし、興味深いのは、それは【強制】ではなく、
あくまでも、【提案】であるということだ。
普通のワークショップでは、例えば、「3人組で感想を共有する」
ということがあった場合には、しばしば【強制】されることが多い。
しかし、このフォーラムでは違った。決して【強制】されない。
「3人組で感想を共有することを提案したいと思います。聞き方は人によって違うので、共有することで立体に捉えれることができるかもしれません。あとは、僕にとっての休み時間にもなるので助かります(笑)」
続けて、西村さんはこんなことを言う。
「あくまでも提案ですので、してもいいですし、しなくてもいいです。また、3人じゃなくてもいいです。2人でも4人でも。ただ、5人は多いかもしれませんね。それだと二手に分かれた方がいいかもしれません。また、1人で聞いた話を味わう時間にしてもらっても構いません。」
【強制】の代わりにしていたのは、【提案】である。
【提案】をすることで、選ぶことができるようになる。
選ぶことができるということは、そこに主体性が生まれる。
まとめると、【提案】は【選択】を生み、【主体性】を発揮させる。
ただ、気をつけなけらばならないのは、
集団における無意識の【暗黙の規範(ノーム)】の形成である。
この「3人組で感想を共有する」という行為を繰り返しているうちに、
自分で選んで「3人組で感想を共有」していたはずが、
いつの間にか「3人組で感想を共有すべきもの」にすり替わってしまい、
参加者同士が、それを【強制】し始めるからだ。
そうなると、能動的に動いているようで、
実は、“動かさせられている”ということが起こる。
今回のフォーラムでも、途中から、
一部で、そのような出来事が起こっているように感じた。
別に、3人じゃなくてもいいはずなのに…
別に、共有しなくてもいいはずなのに…
では、そうならない為には、どうしたらよいか?
答えは簡単だ。
面倒かもしれないが、毎回、“いまここ”の自分にアクセスするしかない。
「いま、3人組で感想を共有したいのか?」を毎回自分の心と体に聴くことだ。
と同時に、相手に強制しない為にも、変化する自分と同じように、
相手も「常に心と体が変化する者」として扱うことだ。
そうすることで、強制されている場ではなく、
自ら参加している主体的な場となる可能性は高くなるだろう。