昨日、僕は、24:25新宿発の名古屋行きの夜行バスに乗った。
そう、乗った(はずである・・・)
明け方、僕は、目を覚ますと、数名の乗客が、
トイレに行く為にバスを降りるのを見かけた。ぼんやりと。
なぜか、「いま、行かないと!」という直感が働き、
つられて、僕も、降りてみることにした。
すると、そこは、想像していた高速のサービスエリアではなく、
なんとなく、見たことある風な風景で・・・
うん、そうだな・・・
大学生4年間で通い慣れた駒大の近くを走る「246号線」に似ている。
ふと、気になって、Googleマップを起動させる。
!!!!!!!!
嫌な予感は、的中。まさに、246だったのだ。
そう、つまり、昨日の夜中にバスが出発してから、
実は、ほんの10キロ程しか進んでおらず、高速すら、乗れていなった。
そんな馬鹿な。
今日の僕の予定としては、四日市に10時から友達と約束があったけど、
これは、さすがに、断念。いま、東京じゃ、到底、間に合わない。
もっと、深刻なのは、昼過ぎから参加しようとしていた、イベントだ。
ただ、これにも、間に合うかどうか・・・
もし、イベントに参加できないのであれば、
明日の朝には、とんぼ返りで、東京に帰るのだから、無駄足になる。
うむ。どうしようか。
そんな矢先、運転手からのアナウンスが入る。
「えー、本日、雪の影響で、これ以上、運行させても、名古屋には相当な時間(約24時間程度)がかかるので、この便は、運休することが本部から決まりました。この便は、Uターンして、出発の新宿に戻ります」
チーン・・・
はい、終了!
ただ、ここから、一つの判断の分かれ道だった。
「ん?待てよ。Uターンと言っても、ずっと、止まっているけど?」
「このUターンさえも、また、結構、時間かかるのでは?」
「しかも、新宿の待合室に戻ってからの払い戻しにも時間かかりそうだな…」
「いっそのこと、もう、ここで降ろしてほしいわ…」
そんな一人脳内会議をしていると、
乗客の数名が、運転手に、何やら伝えてから、実際に、降りていった。
「え?ん?それ、ありなの?降りていいの?」
なんだか、不測の事態に、ちょっぴり、わくわくしている自分がいた。
(こういう時、人から不謹慎だ、と言われるのだろうけど)
でも、とにかく、“その場で降りる”という選択肢を、僕は、目の当たりにした。
で、さっそく、僕も降りることを前提に、電池の残り少ないiPhoneで調べ始めた。
この場所からの最寄り駅と、その路線の運行状況を、だ。
◎最寄り駅は、田園都市線の「用賀駅」
◎路線の運行状況は、「平常運転」
僕は、この二つの情報を得て、よし、と、行動に出た。
「あの・・・僕も、ここで、降ろしてもらってもいいですか?」
どきどき・・・わくわく・・・?
「あ、いいですよ。返金の手続きは、本部に後から連絡してくださいね。」
案外、あっさり。むしろ、運転手さんは、結構、優しめ。
そんなこんなで、その場で、バスから降りることに成功。
外は、既に、雨に変わっていて、排水溝が塞がったのか、
道路が川のようになっているところも多かった。
そして、歩いて、用賀駅へ。
そして、電車で、一旦、渋谷まで。
そして、渋谷から、実家埼玉の最寄り駅まで。
そして、最寄り駅から徒歩で家まで。
思ったよりも、「降ります!」宣言から、案外、
スムーズに、埼玉まで、帰って来られたのでした。
めでたし、めでたし。
と、締めたいところだけど、せっかくの体験だったので、
そこから、気づいたことを二つ紹介。
一つは、【判断をするには、情報が必要である】ということ。
降りる場所からの最寄り駅が、もし遠かったら、きっと、
そのままバスに乗って、時間がかかっても、Uターンしてたと思う。
もし、その最寄り駅からの路線が運休していたら、
結局、そこで待たされて、Uターンの方が早かったかもしれない。
だから、僕にとって、判断する時には、情報が不可欠であった。
さらに、情報不足の時には、判断は、一旦保留にして、情報収集をする。
そういう、僕自身の特性が見えてきた。
もう一つは、【判断後、その選択を良かったものに変えるのは自分】ということ。
正直、あのまま、バスに乗っていたら、案外、すぐに、
Uターンできれいたのかもしれないし、逆に、同じように、
ずっと、止まっていたかもしれない。
ただ、その結果は、(その時点では)誰にも、わからない。
ただ、間違いなく言えることは、選んだ先、選んだ“時”が流れていくわけで、
それは、“不可逆的”ということだ。そう。もう、戻れない、ということ。
だったら、選択した先で、選んだ未来で、選択したことを、
良かったものに、自分で、意味づけて(変えて)いけばいいだけだ。
なぜならば、これから、どうしたいのか、どうするのか、どうできるのか、
という未来に関しては、自分の手のひらにあるのだから。
いま。いま。いま。
僕としては、バスという閉鎖空間の中で、さらに、いっこうに進まない、
という、ストレスの中で、まずは、降りた時の“開放感”が、尋常なく良かった。
さらに、渋谷を経由したことで、いつも通ってて、気になるけど、
一度も買ったことがなかったパン屋さんのソーセージパンを買って、
食べながら、帰ったのだけど、これまた、すっげぇー、美味しかったのだ。
あのバスでの、自分自身のフラストレーションと比べると、
僕としては、あの場でバスから降りた方が、圧倒的に、良かったし、正解だった。
そう、あくまでも、僕にとっては、だ。
ま、こうして、(面白いかどうかは置いておいて)ブログのネタにしているし、
これも、これで、「判断後の意味づけ作業」なのかもしれない。
以上、雪の日に起こった“ある事件”から学んだこと、でした。
おしまい。