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養老天命反転地から学ぶ「身体のマインドセット」

先日、岐阜県の養老にある「養老天命反転地」を訪れた。

養老天命反転地とは、荒川修作とマドリン・ギンズの構想を実現した実験的なアートプロジェクトであり、現在の世界の絶望的な状況を希望ある未来へ転換させようと試みた芸術作品だ。

まず、率直な感想として、“わからなさすぎる”と言いたい。

そもそも、一回の(たかだか、2時間程度の)訪問では、この作品の本当の意図するところには、到達できず、本当に、これっぽっちも、わからなかった。

けど、それでも、僕にとっては、ワークショップ・デザインに関わる一つの学びがあったので、それについて紹介しよう。

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まず、養老天命反転地では、「極限で似るものの家」という建物?があって、「何度か家を出たり入ったり、その都度違った入口を通る」ことを繰り返す。これは、パンフレットに記載されている「使用法」に基づいて行う。

 

※ちなみに、この養老天命反転地には「使用法」と呼ばれる、この作品の使い方がある。

他にも、いくつかの使用法があるのだが、おそらく、訪れていない人にとっては混乱するので、それは割愛して、この場所で、僕に起こった出来事を書いてみる。

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まず、中に入ってみると、中は迷路のようになっている。壁に埋もれたベッドがあったり、机や椅子があったり、お風呂があったり、キッチンがあったり、電話の受話器があったりする。そして、たまに、下の通路が、ガラス貼りになっていて、下にも、同じものがあったりする。

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ふと、上を見上げると、逆さまにした、同じようなものが上に乗っかっていることに気づく。そう、だから、頭上から、ベッドや机や椅子が下に向かって生えている、そんな感じだ。

続けて、歩き回ると、しゃがんでみることがあったり、身体を、ちょっと横に狭めて通るとか、行き止まりに着くとか、いろんな動きをすることになる。

この時、本当に、全く、わけがわからない。(いや、今でも、ほとんど、わけがわからない。いや、むしろ、わけがわからない方が良いのではないか、とさえ、思えてくる・・・)

そんな“わけのわからない状態”のまま、今度は、「楕円形のフィード」というエリアへと向かう。(おそらく、全体像が分かりにくいと思うので、ホームページにあった地図をご覧ください)

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(引用:http://www.yoro-park.com/facility-map/hantenchi/index.php

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「楕円形のフィールド」では、(建築物らしい)“何か”が点在されていて、それぞれの場所に行っては、同じように、例の使用法に従って、動いてみる。入ったり、出たり、後ろ向きに歩いたり、座ったり、上を見たり、下を見たり・・・

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するとだ。なんだか、不思議なもので、なんとなく、懐かしい感じになった。そーいえば、さっき、見たような、見ていないような・・・

そう、ここ、なのです。この部分に、僕は、ワークショップ・デザインに関わる学びを発見したのです。

実は、この「極限で似るものの家」を分解したものが、「楕円形のフィールド」に、ばらばらに点在していたのです。その事実は、帰り際に、なぜか、ショップの店員さんが教えてくれたのですが、言われてみると、不思議なもので、「ああ、なるほどね、やっぱり!」と思えてきます。

そして、ここで、何が起こっていたのか、ということが、面白いのです。

「極限で似るものの家」で歩き回ることで、通常の身体の動かし方のような固定概念が外されて、身体を横にする動作や、しゃがむ動作や、目を上にやったり、下にやったりする“身体の運び”を、無意識の内に「身体が再構築(習得)していた」ということが起こっていたわけです。

つまり、最初に、あの家で動き回ることで、日常の身体の運び方を外し、この家での“身体の運び方”のようなものを、再度、再構築(または、マインドセット)されていたわけです。

 

※マインドセットとは、経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。(コトバンクより)

だからこそ、「楕円形のフィールド」で、それらが想起されるわけです。自分自身の身体の動きや運びに、少しの懐かしさを覚えるわけです。

また、このことは、ワークショップを行う上で、最も重要な要素の一つのように感じられました。なぜならば、ワークショップ導入部分では、普段のマインドセットを外して、場合によっては、外れたままで、または、場合によっては、この場の為のマインドセットを再構築する必要があるからです。

特に、通常とは違う見方や方法で物事を見たり、何かを実施する際には、通常(日常)のマインドセットを一旦外して、この場に入っていける為のマインドセットを再構築する必要があるのです。

例えば、このことは、僕がワールド・カフェの各ラウンドの終わりの合図として、「手を挙げたら、終わりの合図である」と説明している時に、「実際に、やってみましょう!」とか言って、その場で練習することにも通じる。そう、この瞬間に、身体は覚える。その動きと運びを。

僕の場合は、なんとなく、これは必要だと思って、やっていたのですが、今回、養老天命反転地に触れて、「身体に記憶させる」「身体をマインドセットさせる」ということは、思っていた以上に、ワークショップにおいて重要なのかもしれないと、思うようになりました。

“身体をマインドセットさせる”

もっと、僕のテーマに引き寄せて言えば、“対話する身体をマインドセットさせる”、ということは可能なのだろうか?または、可能だとすれば、どのような仕掛けがあれば、いったい、できるのだろうか?

荒川修作とマドリン・ギンズは、少なくとも、最初の「極限で似るものの家」を歩かせることで、“身体に記憶させる”、ということを、意図的に仕掛けたに違いない。けど、このことは、まだまだ、養老天命反転地の0.1%も捉えていない気もするのです。

それほどまでに、この養老天命反転地は、僕にとっては、未知なものであり、わからないものであり、不気味なものであり、学びの多いものであったのです。

また、2回、3回・・・いや、何度も訪れてみたい場所だなと、僕は思いました。

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