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なぜ私はドラマが好きなのか

昔からドラマが好きでした。
今でもドラマが好きです。

つい先日、長野の友人の家に泊まりに行った時のこと。

なぜかテレビの話題になって、「あれもこれも観てる!」と話していたら(不本意にも)ドラマ好きなことがバレたのでした。

昔から知っていた友人はさほど驚きませんでしたが、知らなかった友人は(翌日、聞いた話によると)「けっこうな衝撃だった」そうです。

(僕は、あんまりテレビを見ない人に見られていたみたい…)

そして、昨日。

なぜ、こんなにもドラマが好きなのか。
そのことが少しわかりました。

それは、ここ最近ずっと読み進めてきたドイツの若き哲学者マルクス・ガブリエルの著書『なぜ世界は存在しないのか』のおかげ。

昨日、やっとの思いで読み終えたのですが、その終章の副題は(あろうことか!?)「テレビジョン」だったのです。

「テレビジョン」は、読んで字の如く、「遠く隔てられて〔tele-〕見ること〔vision〕」

私たちがテレビを通して見るものはいつでも「目前の出来事」ではなく、必ず「遠く隔てられた出来事」となります。(たとえ、生放送だとしても、確かに「時間」は一緒でも、「空間」までは共にはしていないでしょう)

とりわけ、テレビの中でも私はドラマが好き。

それは、おそらく、【それぞれの登場人物の「生きている世界」がそれぞれに違っている】そのことを暗に示しているからだと、わかってきました。さらに興味深いのは、たいていの場合は【そのことに本人らは気づいていない】ということです。

特に、いま、私が観ているドラマの中で言えば、坂元裕二さん脚本の『anone』が、ずば抜けています。

多くの登場人物が出てきますが、それぞれはそれぞれの「欲望」(や意図)を基に様々に働きかけていくわけですが、必ずしも思い通りになるとは限りません。(それは当然。なぜなら、同じように「欲望」を持った他者がいるわけですから)

そして、何かの拍子にそれぞれの「欲望」は絶妙に絡み合っていき、「偶然」が「偶然」を引き起こしていく。

『anone』で言えば、最初は「あのお金がほしい!」で始まった行動が、気づいたら、幼少期の辛い記憶を再編することに繋がり、(ある人の娘と勘違いされ)誘拐されることになり、その犯人らとなぜか共同生活することになり、しまいには、偽札をつくる仲間となっていく…

振り返ってみると、これらの「偶然」の重なり合いは、あたかも「必然」だったかのように感じさせます。

余談ですが、フランスの哲学者ドゥルーズと精神科医のガタリは、絶えず増殖しながら四方八方に広がる分子のようなイメージで「欲望」を捉えて、欲望によって動かされているこの世界を「欲望機械」と呼んだそうです。

彼らの言葉を借りるならば、『anone』は、そうした「欲望機械」としての世界像を描いているドラマ、とも表現できるのかもしれません。

さて、話を戻しますが…

ドラマでは、こういう側面(それぞれはそれぞれの「意味の場(意味の領野)」に生きていること)が、よく見られる。

だからこそ、私はドラマが好きなのです。

そして、こうした考え方こそが、マルクス・ガブリエルの「新実在論」の主張に他ならないのです。

ただ、もう一面では、ドラマを観つづけることで、多大なる「勘違い」を引き起こしやすいことも気をつけなければなりません。

というのは、「全てを包括する唯一の客観的な〈世界〉が存在する」という勘違いです。

つまり、まず最初に一つの客観的な世界や事実があって、そこに登場人物の多様な「見方(パースペクティブ)」があるように思ってしまう、そのことです。

しかし、ガブリエルに言わせれば、これは単に間違っている。

なせならば、世界は存在しないのだから。
(詳しくは、彼の本をお読みください)

さて、彼の本を読み終えていま思うことは、彼は、私たちが生きている〈ごくごく当たり前の〉「実感を伴った〈生〉の世界」について哲学的に説明しようとしている、ということでした。

だからこそ、読みっぱなしにはできない。この考えを日常や仕事や現場で実際に活かしていかねば。その想いが、いま沸々と湧いています。

そして、(都合よく。というか、そのために読んできたのですが…)来週の日曜日(3/18)このことを発表する機会があります。

もし、ご興味のある方がいましたら、ぜひお越しください◎

▼生の手応えを実感するために ー 新実在論・他者なき世界・労働の快楽 ー
HP: http://taiwabu.com/event/180318/
Facebook: https://www.facebook.com/events/446537002428083/

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